
11月14日、アート・ガーファンクルのコンサートに行ってきました。家を出るときは激しい雨、私がコンサートに行く日はまたしても雨です。9月のオルガンコンサートも雨、去年のボブ・ディランも雨でした。
夜の7時から始まるコンサートに出かけるにしては早い時間に家を出て、あまった時間を例によって大阪の街をぶらついたりヨドバシカメラの店内を見て回ることに使いました。

ヨドバシカメラを出た頃はもう雨は止んでいて、街はすでにネオンサインの明かりに輝やいていました。

クリスマスイルミネーションにはまだ早いのか、目立ったのはこのビルのツリーだけでした。

舗道橋の上から見た大阪駅前の通り。写真は皆スマホのカメラです。
今回のコンサートホールは尼崎のあましんアルカイックホール、初めて行くところです。尼崎というと兵庫県になります。大阪からどれくらい掛かるのか心配していたのですが、阪神梅田からだと10分も掛かりませんでした。

阪神電車に乗るのは久し振りです。もう10年以上昔、阪神巨人戦を見に甲子園に行って以来かも知れません。

阪神尼崎駅を降りて、大きく立派な舗道橋を道なりに歩いて行くと舗道橋の終点に目指すホールの建物がありました。途中、コンビニでおにぎりとお茶を買い、ホールのロビーで簡単な夕食を済ませたら開演まであと15分に迫っていました。

去年、ダイアナ・クラールに行った時はS席でここかいと言うほどステージから遠かったのですが、今回は早めにチケットを取ったおかげか前から11列目27番とほぼ真ん中でした。このところ席の運はわりと恵まれています。
場内がなかなか静まらず少し遅れての開演でした。ギターとピアノのサイドメンに続いてアート・ガーファンクルの登場です。待ちかねた観客席から万雷の拍手が起こりました。

アルバムジャケットで知るアート・ガーファンクルは長身痩躯、髪の毛もアフロみたいに盛り上がっていましたが、今はその面影がほとんどありません。髪は無くなりお腹は出ています。
彼は1941年生まれ、私より10歳上の76歳、仕方がありませんね。隣のギタリストがかなり長身だったのか、ガーファンクルの方が小さかったのも意外でした。ポール・サイモンはよほど小柄なんですね。
それよりもショックだったのは彼の声が掠れていたことです。年齢からしてもう「明日にかける橋」のあの高音は出ないだろうと予想していましたがそれ以上でした。
しかし、声は掠れ高音は出なくても優しくそっと歌に入っていく彼の歌い方はやはりあのサイモンとガーファンクルのガーファンクルそのものだったと思います。

彼はS&G解散後はソロ活動をしているので、ソロの時の曲とS&Gのヒット曲をほぼ交互に歌っていたように思います。当然、S&Gの歌に観客はノリノリになり、知らない曲は静かに聞くスタイル、歌い終わるといつも大きな拍手でした。
記憶も曖昧で頼りないですが、「ボクサー」「スカボロフェア」「早く家に帰りたい」「サウンド・オブ・サイレンス」「59番街橋の歌」?「キャシーの歌」「四月になれば彼女は」「明日にかける橋」などを歌ってくれたと思います。
とくに「サウンド・オブ・サイレンス」は凄い拍手でした。「早く家に帰りたい」ではどこからともなく手拍子が起こって会場中を包み込みました。

あとでネットで知ったのですが、彼は過去に声帯麻痺で一度声を失っているのだそうです。英語なのでわからなかったのですがMCでその辺の事情を喋っていたかも知れません。
歌の間によくお喋りました。ほとんど喋らず歌いまくっていたボブ・ディランとは対照的です。ただ、そのメッセージが英語のため理解できなかったのは残念です。
近い将来、AIが自動で翻訳してステージのどこかに設置された液晶モニターに訳を映し出してくれる日がくるのではないでしょうか。
彼のお喋りの中に何回もポール・サイモンの名前が出ました。あるとき彼は舞台の袖に向かって「サイモン」と呼びかけて観客の笑いを誘いました。

本当にもう76歳のお爺さんで声も出ないのに、少しもそのことを苦にしていないように持てる力とテクニックを駆使して一生懸命歌っている姿、若きガーファンクルとは違った味わいがありました。
懐かしい歌を聞いて自分でも意外なほど興奮している自分に気づきました。感激の拍手をしながら元気をもらいに来たんだと思いました。
シートの背に身体を預けてアート・ガーファンクルが歌う歌に耳を澄ませて、青春に再会しに来ているのだとも思いました。ちょうど東京に再会しに行ったときのように。新宿はもう昔の新宿ではありませんが、そこここに面影は残っています。
ステージのガーファンクルが歌う歌にポール・サイモンのハーモニーもギターもありません。それどころかガーファンクルの声は掠れ高音も出ません。時は残酷です。でも私を含め多くの観客たちはそこに自分が過ごしたはるかな時を見いだそうとしていたように思えました。
学生時代から上京後もしばらくはFMが聞けるトランジスタラジオを喜んで聞いていました。ステレオへの憧れはずっとあって、お金を貯めてやっと買ったのがOTTOの小さなポータブルステレオでした。その時初めて買ったLPがサイモンとガーファンクルのこのアルバムでした。
CBSソニーのゴールドディスクシリーズでラインナップにはミッシェル・ポルナレフなどもありました。一種のベスト盤です。A面一曲目の「ミセスロビンソン」針を下ろした瞬間、多重録音のギターの音が左右のスピーカーから見事に分離されて出てきたときは感動しましたね。ステレオ録音を体感しました。
しばらくレコードはこれ一枚でしたので来る日も来る日も聞いていました。美しいメロディに沿って、英語の歌詞がおぼろげながらも口をついて出るのは、このときの体験のせいです。
約1800席ほどのさほど大きくもないホール、アコースティックギターとピアノと電子オルガンだけのこじんまりした構成もボーカルを聞くにはちょうど良い具合でした。
もっと静かなコンサートを想像していたのですが席が前だったせいか観客の熱狂ぶりが予想以上でした。ほとんどの観客が私と同年代なのですが中に3.40代と思われる人たちがいました。
この人たちはS&G、あるいはアート・ガーファンクルの若いファンなんでしょうね。私の斜め前の40代とおぼしき男性などはArt Garfunkelと文字の入ったシャツを着ていました。スタンディングオベーションを真っ先にするのも彼らでした。懐かしがっているファンばかりではないのですね。
コンサートは正味一時間あまりほどだったでしょうか。帰途につく観客の波をやり過ごして、すっかり夜が更けた尼崎の舗道橋を駅に向かって歩いていると、若い女性たちがビラ配りをしていました。どこかの大学の演奏会のチラシです。ここにも音楽を愛している人たちがいるのだなぁと妙な感傷を抱いて帰りの電車に乗りました。
この歌を彼はステージでマイ・フェバリット・・・と紹介していたように思います。しっとりと歌って聞かせてくれました。
この記事へのコメント
takenoko
ケンタパパ
そらへい
こんにちは
大阪までが遠いので、その先の尼崎はそれほど遠く感じませんでした。
阪神電車に乗ったらすぐですね。
昭和57年だそうです。30代まで尼崎におられたのですね。
そらへい
こんにちは
あのガーファンクルでした。
S&Gは我々の世代だけと思っていたら、
あの名曲の数々はその後もずっと受け継がれて
ファンを広げていたのですね。
コンサートはいつ行っても満足感がありますが
今回は格別だった気がしました。
タックン
感慨ひとしおだっただったことでしょう。
そんなに熱心なファンではありませんでしたが、
「サウンド・オブ・サイレンス」」「明日にかける橋」など
流れてくるだけで胸がキュンとします^^
いっぷく
『サウンド・オブ・サイレンス』『明日にかける橋』
懐かしいです。
若いファンがいるというのもうれしいですね。
そらへい
こんばんは
私のような観客多かったと思います。
それからもっと若い客たちもそれぞれ自分の時代に合わせて
聞いていたことでしょう。
ひょっとしたら真新しいファンもいたかも知れません。
サイモン&ガーファンクルの歌
私たちが過ごしていたあの時代、
歌謡曲や映画音楽などとともに
巷に流れていた代表的な歌のひとつですね。
そらへい
こんばんは
私が子供の頃、両親がTVで懐メロを聴いるのを
少し馬鹿にしていましたが、
よく似たことをしているみたいです。
カメラを持ってきていたのですが街中で取り出すのが面倒で
スマホで済ませてしまいました。
すーさん
歌声も歳をとり掠れていたとのことですが、
それに捉われずに自分のメッセージをひたすらに
紡ぐような歌唱だったのですね。
沁み入ります。。
それに何と言ってもポスターデザインがステキです^^♪。
黒地に赤文字のタイトル、そしてガーファンクルの印象的なポーズ、
カッコよくて大好きです^^!。
ぼんぼちぼちぼち
足を運ばれてよかったでやすね。
yoko-minato
70歳過ぎて歌手として海外を回っているのは
素晴らしいことだと思いますね。
まして一度声帯麻痺で声を失っているだけに
驚きです。
私も個人的に手術の後遺症で1年半声が出なくなり
辛い思いをしました。
今でも出しづらく歌を歌えません。
ご本人の努力があればこそと・・・
yasumichi!
コンサ-トで生の演奏を聴かれ幸せですね 矢張り都会です!
此方はど田舎、生の演奏なんか全然です 子供の演奏位です
大阪駅前、全然変っていますね もぅあれから50年ですものね
駅前は未だ阪神デパ-トで左は、阪急デパ-トでしょうか
多分私鉄も走って居るのでしょう 尼崎懐かしい言葉です
何時もコメント戴き有り難う御座います 返事遅れて済みません
では また 出て来ます 風邪惹かれません様に
そらへい
こんばんは
日本語で2度も「歌うことが好き」と言ったように
そっと優しく歌い出して、出ない声を駆使して歌う姿は
歌うことを慈しんでいるようにも見えました。
家に帰って、レコードやCDのS&Gを聞くと
全く違う声にあらためて驚きましたが。
このポスターと同じチラシが場内にあったのを見つけて
一枚いただいてきました。
私のあとからも、一人の中年女性がそっと大事そうに一枚
抜き取って行かれたのが印象的でした。
そらへい
こんばんは
もう全く別人の声でしたが、
歌い方はガーファンクルそのものでした。
観客は皆、彼が歌っていると言うだけで
満足していたのだと思います。
そらへい
こんばんは
あと4年ほどで80歳ですからね。
驚きです。
でも、歌手としては海外からでもファンの要請があれば
ステージに立ちたいと思うものなのでしょうね。
万雷の拍手を浴びる喜びはステージに立てるひとにしか
わかりませんね。
しかも、一度声を失って彼はまた歌えることの喜びを
今の歳になっても感じているのだと思います。
風邪を引いて一時的に声が出なくなっても不便でつらいのですから
声を失うことの辛さは想像するにあまりありますね。
そらへい
こんばんは
大阪までは約一時間半あまり掛かります。
たびたび行くには少し遠いのですが
たまに行って都会の気分を味わってきます。
大阪駅前はここ10年ほどでまた大きく変わりましたね。
阪神や阪急は同じところにありますが、阪急は建て直して刷新され
阪神も今、工事をしていました。
以前は殺風景だった北口にはグランフロントの大きなビルや
ヨドバシカメラなどがあったりします。
たまに出てこられたら、きっと目を回されるかも知れませんね。
寒くなってきました。
お身体大切に。
yoriko
優しくて心にす〜ととけ込むような歌声が好きでした
そして今もですが当時も懐かしさを覚えました
彼らが全盛の頃は私も若かった(笑)
色々な想い出が走馬灯のように思い出されます。
水郷楽人
そらへい
こんにちは
若い頃、いつも流れていましたね。
当たり前のように。
どうせ70代のガーファンクルと、ちょっと冷めた気持ちで行来ました。想像通りというかそれ以上に声出ていませんでしたが
懐かしいナンバーが歌われると、予想外に興奮している自分がありました。
コンサートというといつもちょっと背伸びして聞きに行くのですが
今回は等身大の自分で聞けた気がしました。
そらへい
こんにちは
素直に懐かしかったですね。
サイモンはいないし、ガーファンクルの姿も声も昔とは違うのに
懐かしいナンバーが流れると興奮している自分がありました。
元気をもらって来た気がします。
たいへー
感慨深いではないですか。
思い出のレコードも、
また違った素晴らしい音を聴かせてくれると思いますよ。
そらへい
こんばんは
本当に、S&Gを聞いていた頃は若かったですね。
歳月が過ぎて、76歳のアート・ガーファンクルを
66歳の私が聞くことになるとは・・・
レコード、帰ってから取り出したら黴が生えていました。
一度クリーニングしたはずなのですが
それからも時間が経っているのですね。